私の原点
小学校時代の思い出は天井を眺めていたことです。
喘息発作で学校を休んではゼイゼイ苦しみながらずっと天井を眺めていました。
'今後自分はどうなってしまうのだろう?'
'このままこの苦しみが一生続くのだろうか?'
'このまま喘息で苦しんで発作を起こして死んでしまうのだろうか?'
などと考えていました。
当時は今では主流である吸入ステロイド治療もまだなく、発作を起こしても気管支拡張剤のネブライザーとネオフィリンの点滴ぐらいしかない時代でした。少しでも良くなればと、今では医療効果がないことが判明している乾布摩擦も毎朝やりましたし、卵茶なる黄身を玉露で割って飲む まずい民間療法を2年間続けたこともあります。両親が国立病院附属の小学校に入れるか相談しているのを障子越しに聴いたこともありました。いつ発作が起きるのだろうと不安な日々を過ごしていました。当時、体も小さく体力もない自分は勉強で頑張るしかない、勉強頑張って医者になり病気について詳しくなるとともに、私と同じように悩んでいる患者さんの苦しみを取ってあげたいと思い医者を志すようになりました。学生時代もこの思いはぶれることなく、卒業後迷わず呼吸器内科の道を選び大学院もアレルギー・免疫の研究をする研究室を選びました。
今、こうして振り返ってみれば自分が幼少期喘息だったお陰で医師になれ、呼吸器内科・アレルギー科の専門医として喘息の患者さんに向き合ってゆくことが出来るようになったのだと思います。
喘息はしっかり治療すれば、多くの患者さんは日常生活を普通に送ることが出来ます。今までに、咳や軽い発作があるのに自分の症状に慣れてしまい、しっかり治療すればもっと良くなることが出来る患者さんを数多く診てきました。これからも少しでもこのような患者さんが減ることを願いより良いコントロールを目指しサポートできればと考えています。
>>院長アレルギー歴を見る

